演出ノート 2007

LAST UPDATE: 2013.05.08
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−共生の彼方へT−霧笛

 ごあいさつ
人生を生きていて、自分が望んだことが実現する感動に出会うことはそう多くないと思います。今回僕はそういう機会にめぐりあいました。
僕が出石町を訪ねるのは二回目になります。昨年ふと足を運び、すばらしい街並みを歩き、大らかで明るい出石町の人たちにお会いし、その時に静思堂を尋ねました。
しばらくたっても街の印象とそこに住む人たちの顔が頭から離れず、いつかまた来てみたいと考えていました。それが次第に、ここをもう一度訪ねてみたい、できることなら自分の演劇作品をもって、「演劇」を通して作られる空間を皆さんと共有してみたい。それもあの静思堂で。と、まったく個人的な欲求がムラムラと沸いてきたのです。
その願いが叶いました。しかもとんとんとすごいスピードで。感謝。
勝手な言い方ですが、この機会が僕の一方的な願いで終わってしまわないことを祈ります。わずかな時間、ささやかな瞬間でも、何かしらの感受性を皆さんと共有できることを祈って本番に臨みたいと思います。そしてこの機会を作ることに尽力してくださった小畑さん、出石町の人々に感謝の意を表して、開演の挨拶に換えさせていただきたいと思います。

2007年3月兵庫県 静思堂  『共生の彼方へ−霧笛』当日パンフより

−共生の彼方へT−霧笛

 すでに霧笛を何度か公演しているが、公演の度ごとに 自分はひどくつまらないことをしている不安にとりつかれる時がある。僕は演劇こそが人生の玉響のごとき一瞬の輝きを集団性の中で獲得できる芸術だと信じているはずなのだが、一人で舞台にぽつねんとしている自分の体を、目的を喪失した虚しき物だと感じて
空恐ろしくなるのだ。共有し、摺り合い、反発し、共鳴や摩擦を繰り返すことに演劇の魅力はあるのではないのか?
虚しさの中であがいても、突然、大スペクタクルが目の前に創造できるわけもなく、結局いじいじと稽古場で、自分の体を弄繰り回すようなことを続けるわけである。
馬鹿の考え休むに似たり
結局、体と言葉(物語という大意も含め)が僕と世界の媒体である。そこにすでに他者との遭遇があり、客席に人がいることで演劇行為の場が成立する。物語とそれを構成する言葉群、それに連鎖したり離散したりする肉体。これらを通して僕は他者と交感する。
よきにつけあしきにつけ、まずは僕自体が第三者と交流できる場が、劇空間であるというほかない。

2007年5月atelier SENTIO/A.C.O.A.アトリエ
  『共生の彼方へ−霧笛』当日パンフより

翻身

ダンサー、俳優、言葉を綴るダンサー、体を見つける俳優、不動のダンサー、無言の俳優・・・・・。その迷妄、そのもつれ、その共生から思わず発する喘ぎのような発見を。

2007年9月横浜STスポット/宇都宮be off/A.C.O.A.アトリエ
  『翻身』当日パンフより